日本人の平均寿命は男性78.56歳、女性85.52歳(2005年国勢調査)である。世界屈指の長寿国でありながら、ほとんどの企業や組織で60歳での定年を定めている。「人生80年」とすると、まだ人生の4分の1が残っている年代だ。まだまだ体力的にも元気であるため、働きたいと思っている人も多いはず。そんな高齢者再就職の実例を紹介。63歳で、御神輿、太鼓などのトップメーカーである宮本卯之助商店に再就職した下村祥介氏に、再就職した経緯と再就職先で活躍できるコツを語ってもらった。
2006年8月、63歳で宮本卯之助商店に再就職した下村祥介氏が社会人としてのスタートを切ったのは1967年のこと。大学卒業後東芝に入社。コンピュータ関係のソフト技術、企画業務を経て、営業職に就いた。訪問営業や店頭品販売営業などに携わり、40歳過ぎに営業部長、その7〜8年後には支店長に就任した。今から約8年前の54歳のときには、POS(販売時点情報管理)システムやレジ端末などの製造・販売を行う東芝テックへ移籍、官公庁営業統括部長を経て、常務執行役員に就任する。そして2005年6月、62歳で東芝テックを退職したという。
シニアライフを楽しんでいたところに再就職の話
「サラリーマン生活では、毎日、休む暇なく駆けずり回っていたので、シニアライフはボランティア活動をするなど、ゆっくり過ごしたいと思っていました」と下村氏。下村氏が選んだボランティア活動は、植木の剪定。植木職人について、習ったという。そして横浜の福祉クラブから庭を手入れできていない高齢者家庭を訪問して、植木の剪定を行っていたのである。
「ボランティア活動はお金が得られるものはないが、それなりに充実した生活を送っていました」と下村氏は振り返る。そんな下村氏に、前職時代に交友のあったソフト開発会社の役員であるA氏が再就職の話を持ちかけた。それが現在の会社への再就職のきっかけとなったのだ。
退職してようやく自分の時間を持ち充実した毎日を過ごしていた下村氏は、当初「今さら、新しい会社に入ってガツガツ働くつもりはまったくなかった」という。下村氏は再就職の話を固辞したが、A氏は熱心に勧誘した。下村氏も「とりあえず、話だけでも聞いてみよう」という気持ちになり、再就職先となった宮本卯之助商店の社長と面談をすることになった。
宮本卯之助商店は、太鼓やお神輿、祭礼具の製造、販売行っている。創業は1861年(文久元年)。現在の社長は7代目で、年商は10億円。従業員数は46人だが、そのうち26人は太鼓やお神輿を製造する職人で占められている。下村氏にとって、まったく未経験の業種だった。
しかし、下村氏は宮本社長と話をするうち、事業に対する真摯な気持ちやまじめさ、そしてその場に同席していた専務(社長の子息)の改革に対する熱意に心を揺り動かされ始めた。「専務は私の息子とほぼ同じ年齢。また彼は私の大学の後輩でもありました。私で役に立つなら支援をしたいと思い、再就職を前向きに考えるようになりました」と語る。
再就職にあたり、3つの懸念項目をチェック
だからといってすぐ、決意したわけではない。本当に自分がその会社でやっていけるのか、不安な要素はあった。それが以下の3つある。
悩んだ末、これら3つの懸念事項はクリアできると考え、下村氏は入社を決意した、という。
大企業とはあまりにも違う環境に戸惑いも
入社してまず、下村氏が戸惑ったのが「大企業で当たり前に行われていることが、当たり前に行われていない」ことだ。「決済の大半は社長や専務の個別の判断で行われ、はっきりしたルールがありませんでした」と下村氏。それだけではない。営業活動の実態を把握しようと思っても、職務規程や販売規程などのドキュメントがなく、すべて暗黙知の世界。生産工程も図面がなく、職人の経験と勘に頼っているというのが、現状だった。
「標準作業や標準工数の設定がないため、数値的な管理が出来ない。これは大変だなと思いましたね」と下村氏は苦笑する。
だがもちろん、良い面もたくさん感じたと下村氏。「業界のトップメーカーであるため、社員のモチベーションが非常に高い。また家族的経営であるため、職場は非常に暖かい雰囲気。社員の年齢層も、下は20歳から上は77歳までと幅広く、また働き方も様々。正社員だけではなく、私のような契約社員やアルバイト、嘱託など多様性に富んでいる。さらに勤務時間も自分のライフスタイルに合わせて選べるなど、今でいうダイバシティな職場なんです。働きやすい会社だと感じましたね」
入社して1年が経つが、入社前の3つの懸念事項の1と2は解消され、「毎日、気持ちよく仕事ができている」という。「社長とはウマが合うということもありますが、経営陣の理解が早いので非常にうまく進んでいます」と下村氏。職場での人間関係も良好で、「職人の方とも今では食事をしたり、飲みにいったりするまでになりました」と笑う。
ただ、一つだけ入社前の懸念事項がクリアされていない。それは先ほど述べた「3.あまりストレスにならないような仕事か」という点。
「つい業務にのめり込んでしまって、自分の時間がなかなか取れないのが、悩みです」と下村氏は苦笑。というのも入社時の条件である、正規就業時間の4分の3未満の勤務時間を大幅に超過してしまっているからだ。「今年の8、9月は土曜日もお祭りがあるため、ほとんど出社しました。忙しく過ごしているため、ただいま、ボランティアは休止中です」(下村氏)
1年間の成果
下村氏に期待された営業改革や営業強化も順調に進展しており、最近は工場など製造現場の改革を支援をしているという。下村氏がこの1年間で貢献してきたことは多々ある。第一に各種行動の定式化やマニュアル化、ルールを構築したことだ。「受注活動進捗段階別のアクション作成やアクションアイテムの明確化、また、営業会議での個人別見込み客リストの作成とフォロー、定例連絡会の設置などに取り組みました」
そしてこれらを営業マニュアルの形にまとめたことである。「一般的な営業マニュアル以外にも、お神輿の制作工程などを紹介した技術編、お祭り関連の情報を記した祭事祭礼編などについてもまとめました」
第二に法務局訪問や回収実務など、売掛金回収活動の方法をまとめ、決済規程や売掛金回収規程、卸販売規程などの各種規定を策定したこと。
そして第三にこれらを作成するだけではなく、毎週日を決めて定時以降に、勉強会を開催し、徹底したのである。また下村氏は口だけで経営改革を進めるのではなく、自ら神社社務所や町会長宅、御神酒所などを訪問し、大口物件の受注活動も行っている。。
一方、製造現場の改革には前職の仲間にアドバイスをもらい、生産管理システムの構築を遂行中という。「今後は工程管理や品質管理、在庫管理、原価管理が強固になります」と下村氏は胸を張る。
会社が必要としているものに応えられたことが成功の要因
下村氏は、「再就職が成功した要因は3つある」という。
第一に会社が必要としているものや、期待していることに応えられたこと。第二は企画・戦略立案(デスクワーク)だけではなく、販売現場、製作現場での仕事(フィールドワーク)の両刀遣いができたこと。第三に人間好きであること。「最初は貢献できるか悩んだが、今では十分、これまでの経験が生かせていると思う」と下村氏は満足する。
もちろん、成功するために日ごろから心がけていることもある。「社長や専務との密接な意思疎通は欠かせません。何をしたいのかを受信するだけではなく、ある程度仕事が分かってきたら、それに対して何をすべきかをきちんと発信していくことを行いました。また職人との人間関係を構築することも積極的に行いましたね。というのも業務改革を推進する私は、職人にとって進駐軍的存在です。まずはソフトに接し、彼らを理解することに勤めました。現在の課題は、彼らの考え方や行動をどう変えていくかです。彼らは頭では理解できていますが、まだ行動が伴っていません。気持ちの面でも納得させられるよう、頑張りたいですね」(下村氏)
“好きになれる仕事に就くこと”は再就職がうまくいくための最大の秘訣
下村氏は最後に、再就職に失敗しない最大の秘訣は「好きになれない仕事には就かないこと。少なくとも嫌いではない仕事に就くことだ」という。「義務感やノルマ感でやるような仕事は、うまくいかないから」だ。例えば下村氏の仕事の場合、未知の町会役員宅に一人で訪問したり、鳶職の頭などがいる中に一人で挨拶にいったり、現場職人と制作および納期の交渉を行ったり、自ら店頭に立ったりすることもある。場合によっては、店先の掃除もすると下村氏。
「だから人に会うのが億劫だったり、油の臭いなど工場現場に馴染めなかったり、身体を動かすことが得意でなかったりする人には、務まらない仕事だと思います。でも私はそれらの仕事を嫌だと思う気持ちがなかった。だから再就職後もうまくいっていると思う」
また高齢者再就職の場合、下村氏のように大企業から中小企業へ再就職するケースが多いはず。このような場合に気をつけなければならないのが、「中小企業は何でも自分でやらなければならない、ということを肝に銘じておくことだ」と下村氏は指摘する。「例えばコピーをとるのも、ファックスを送信するのも、余分な人材はいないので、全部自分で行わねばなりません。そういう意識改革は必須です」(下村氏)
そして提案や提言だけではなく、自らが実行役になるという覚悟も必要だという。「参謀役やご意見番としての役割だけではなく、一兵卒として動かないとやっていけません」と下村氏。また「いくら年をとっていても、再就職先では新米であるという、謙虚な意識を持つこと。いつまでも探究心、好奇心を持つことも必要でしょう。私も今の会社に勤めるまで、お神輿について何も知りませんでしたが、それを知識として得るのが楽しい。だからこそ、興味を持って働けるんです」。最後に下村氏はそう語り、講演を締めくくった。
再就職は1年のブランクがあっても可能
下村氏の講演に対し、いくつかの質問が投げかけられた。まずは前職での経験がどのくらい生かせることが出来ているかということに対し、下村氏は「私の前職での営業スタイルは訪問販売。それはお神輿も同じ。東芝と東芝テックで積み上げてきた知識や経験を今、放出しているという感じ。そういう意味ではこれまでのキャリアは十分、生かされていると思う」と答えた。
また「ボランティアをやっていたとはいうが、それだけではやはり人生の満足は得られなかったのではないか」という問いに対し、下村氏は「もちろん、100%満足しているわけではなかった。だが、冒頭でも申し上げたとおり、再就職のきっかけはあくまでも東芝テック時代に交流のあった人からの勧誘。もしそれがなければ、再就職していたかどうかはわからない」と答えた。
3番目の質問は「常務職と今の仕事のどちらが面白いと思われるか」というもの。下村氏は「中味はまったく違うが、どちらも私にとっては甲乙つけがたい面白い仕事。例えば東芝テック時代は、官公庁の営業を統括していたので、官僚の人たちとの出合いがあった。今の顧客は神社や寺院、歌舞伎座やお囃子、能楽など伝統芸能の人たちとも出会える、非日常的な世界ですから」と答えた。
「これまで、私たちは退職後、半年以上ブランクを開けたら再就職は難しいと思っていた。しかし1年おいても、下村さんのように再就職ができることがわかり勇気がわいた」という感想も参加者から聞かれたとおり、企業が求めるものに答えられるスキルや経験があれば、ブランクは関係ないことが証明された事例だろう。